かつては、5方向から線路が中間駅へ集まっていました。炭鉱跡と広大な空き地が寂しく、西側(画面下)の市街地とは対照的ですね。跡地は住宅・店舗・公共施設が立ち並び、街は大きく変貌を遂げました。
上下貨物・旅客の3線が集まっていた新手駅構内も広かったようです。ちょうどホームに2両編成のディーゼルカーが停車しているのが見えます。現在はほとんどが道路になり、なかなか当時の面影を見ることができませんが、「工」杭は周辺に少し残っています。
貨物線跡は香月線開通時に開業した岩崎駅(貨)へ向っていました。その後、矢印位置に旅客用の楠橋駅が開業しました。その後、楠橋駅は岩崎駅(貨)と併合する形で岩崎駅となりました。ちなみに、中間から岩崎駅までの営業キロは旅客ホームのある位置までじゃなく、岩崎駅(貨)までの距離になっていました。
構内には炭鉱施設跡が残っています。ここも広かったようですね。現在、駅跡は西鉄バスの香月営業所になっており、かつて多くの石炭列車や旅客列車が往来した場所に、バスがズラリと並んでいます。炭鉱施設があった場所は近年、住宅地に造成されてしまい炭鉱の面影が消えてしまいましたが、営業所の壁の一部には当時の煉瓦積み遺構を見ることができます。
かつて、ここから鞍手軽便鉄道(その後、数回改称)が営業していました。今の筑豊電鉄楠橋駅そばを通り、野面まで運行していました。その煉瓦遺構が数ヶ所残っています。