勝田線は吉塚駅を出発後、篠栗線と共同の線路を走り、新幹線を越えた辺り分岐して並走した後、現在の篠栗線柚須駅で双方離れていきました。かつては、双方とも吉塚駅まで続いており同時発車も見られたそうです。宇美川に残っていた勝田線旧線跡は篠栗線高架工事の際、一時的に再利用されたことがあります。
ここの分岐は吉塚駅構内だったそうです。現在、勝田線側には保線用の側線がありますが、分岐位置が新幹線の真下あたりにあるので、当時の位置とは少しズレています。当時の安全側線を流用して、起点側に新たに分岐器を設けたものと思われます。
分岐してからしばらく並走した後、現在の篠栗線柚須駅(★印)から分かれていました。隣り合う線路の間にホームが設けられた駅なので、ホームが非常に狭く感じられます。快速列車通過時は結構な風圧があり安全柵が必要では?と思ったりします。
工場が立ち並ぶ中にひっそりとあった駅。駅裏には広大な空き地が広がっています。現在、そこは福岡東サティをはじめ、テニスコートや駐車場になっています。
ホームは駅南に見える駐車場側ではなく、空き地のような場所にひっそりとありました。現在は大部分が緑道公園となり遊び場、ウォーキング等に利用されいます。ここから志免の間も遊歩道が続いていますが、r24(福岡県道24号福岡東環状線)と大型ショッピングモールに分断されていて完全トレースは出来ません。ちなみにr24に分断された付近の交差点名は「南里駅前」そばに「南里駅跡公園」があります。1944年に国有化された際に廃止となった駅です。
2009年に国の重要文化財に指定された「志免鉱業所竪坑櫓」が見えます。その影の長さから、いかに高い建造物かわかりますね。現在、駅跡はホームやレール、信号機、梃子などが残る鉄道公園となっています。公園整備後は当時のままのホームが残っていましたが、今はホームどころか公園自体を分断する形で道路が貫いてしまいました。ありえません・・・。
香椎線旅石貨物支線は晩年、自動車輸送に使われていました。座席固定列車の方向転換に使用されたことがある渡り線も見えています。現在もこの渡り線の橋台跡が残っています。
左に見えているのは九州自動車道。現在、線路跡は遊歩道・生活道路になり、駅跡はホームの一部だけ残されて案内板とモニュメントが設置されています。勝田線は宇美川を渡って宇美へ続いていました。現在も橋脚を活かした橋が架けられています。かつては宇美川を渡らず、川に沿って運炭線が分岐していたようです。
時刻表の路線図では1つの駅になっているのに実際は離れたところに2つあるという、地元人以外には大変わかりにくかった駅。敷設時にそれぞれが別会社だったため、こういう形になりました。現在も香椎線の宇美駅は営業中。勝田線の宇美駅跡は道路の拡幅や駐車場が作られたため跡形もありません。歩道になった拡幅前の道路の形状から何となく判る程度でしょうか。
炭鉱の面影が少し残る何とも寂しい終着駅。現在、宇美〜筑前勝田間は生活道路〜遊歩道になり、沿線では大規模な宅地造成が行われ、福岡市へのベッドタウンとなっています。やはり勝田線廃止は失敗だったのでは?と思うのは私だけではないはず。もし現存していたらなら、駅間に四王司坂駅が出来ていたかもしれませんね。