貝島炭鉱の積込場が稼働しており、筑豊の数ある駅の中でも筑豊炭田終焉までその役目を果たしていた駅の一つです。積込中の石炭車が並んでいるのが見えます。画面左には廃線となった庄司方面への線路跡が見えます。2010年4月現在、側線が並んでいた広い構内は殆どが空き地のままです。旅客ホームと貨物ホームは残っています。積込場は宮田B&G海洋センターになっています。
菅牟田方面へ向かっていた貨物支線が見えます。この当時はまだ現役路線です。現在は、駅跡は道路になり、支線跡も一部が田圃になった以外は道路になっています。
一番端の側線に石炭列車が停車しています。牽引機が直方側に付いているので、恐らく宮田線から入線した列車でしょう。勝野駅は筑豊本線が電化された際にホームが直方側に少し移転しました。よって、宮田線の列車が停車していた旧ホームも消えてしまいました。宮田線の線路跡は画面左下のカーブ部分の盛土とガーダー橋跡が残っています。
ここも筑前宮田駅と同様に貝島炭鉱の積込場と側線が並んでいます。周辺も大規模な炭鉱施設・長屋が多くあり、筑豊地区ならどこでも見られた風景です。今では当たり前にあった長屋も次々と姿を消しています。現在は、道路や住宅・空き地になっており、遺構は殆どありません。真っすぐな道路に線路跡の雰囲気を感じる程度でしょうか。
ここにも貝島炭鉱の積込場があり、石炭車が並んでいるのが見えます。採炭末期なので両数が少ない気がします。
もっと古い空中写真を重ね合わせると、青矢印部分から弧を描いて貨物支線を渡る貝島炭鉱専用線の橋梁があります。矢印が示している部分は橋梁手前の盛土跡と思われます。専用線の橋梁は橋脚と桁で構成されていたので、その左にある橋は後から露天掘り用に設置されたものだと思われます。中心にある細い橋も運炭線兼人道橋?だったようです。専用線は右側に見えている小竹町の本入溜池の横を通り、煉瓦製のトンネルを抜けて飯塚の庄司採砂場(現・飯塚駐屯地)まで続いていました。