・序章
3月11日に北里-肥後小国間のMTBコースを訪走した際、宮原線の全区間の歴史と現状調査を実施した。その際、麻生釣駅跡とそれより宝泉寺駅までの軌道敷き跡の確認が出来ていなかったが、後日DVDを購入したところ駅跡と区間軌道敷き跡は確認できる旨の確認が取れた。それによると、麻生釣駅跡の石段と軌道敷きトンネルの映像が収録されており、トンネルは通り抜けることが出来るとの解説がされていた。
HPではルートの詳細を得るには至らなかったが、昭和59年度版の道路地図により大まかなルートが確認出来た為、9月2日の夕方近くになって思いつきで再訪問してみた。宝泉寺駅以降はほぼ90度の角度で南下していた記録だけを頼りに散策するが、案の定軌跡を辿ることすら困難となり、川底温泉間を幾度と無く往復する結果となった。ここまでの往路で約50kmの道程を費やしていることから諦めきれず、後日自転車で散策するためにルートのみでも特定しておきたい気持ちから、付近を手当たり次第に枝道まで検索する方法に切り替えた。地域の公民館で行き止まりと言う洗礼を克服しながら、残す県道を南下するも手がかりは掴めず、結局県道が険道区間になった時点で引き返しを決意した。
悔しさが拭いきれないまま引き返している最中で、地元車らしき車両が築堤と思しき道路へ進入するのを目撃。よく観察すると緩やかな勾配の手前だけが不自然な急勾配の取り付け道路となっており、入口には分譲地の案内板が取り付けられていた。話の種に立ち寄ってみることにし、鋭角の枝道をを大回りにて進入。その結果、道路に分け入った途端にトンネルが信号機を控えて待ちかまえており、残された道もこれしかないと期待が一気に膨らんだ。
信号機は赤色の点灯であったが2分ほど待つと青色が点灯し、この道路が日常の用として使用されていることを誇示していた。
トンネルに進入すると全体的に大きく右カーブを描いており、路面こそコンクリート舗装されているが、ほぼ一車線幅の馬蹄型の断面形状と共に左壁面の待避壕が鉄道用の隧道を流用している事を証明していた。
距離にして300mほどでトンネルを抜けるが、出口から50m程で分譲地との分岐となり、それより先は未舗装路になっている。未舗装ながらも路盤は締まっており、雨が降っているにもかかわらずタイヤがめり込むことはなかった。その後も3つのトンネルを抜けながら一車線幅のまま森の奥へと続いており、明らかに利用されている痕跡が認められた。
4つ目のトンネルを抜けた時点で完全に日没を迎えてしまい、右手下方に川底温泉の灯りを確認しながらも行く手に不安を感じ始めてしまった。轍間の雑草がかなりの高さまで伸びており、ヘッドライトの照らし出す範囲だけでは路肩の状況が把握出来なくなったからである。倒木でもあろうものならバックライトだけで延々と後退しなければならない可能性もあり、FFのFitでは立ち往生の危険があると判断。後ろ髪を引かれる思いで林業作業の場所らしき広場で方向変換し、今通ったばかりの道を引き返した。
・現役当時の路線
右図は昭和51年の航空写真を元に軌道(青線)を書き足したゼンリンの地図であるが、これによると宮原線は宝泉寺駅を出て直ぐに国道387号線と交差し、今度は国道から分岐した県道に沿って串野地区まで南下している。現在では交差部分が交差点になっており、カーブの度合いが若干異なっていると思われるものの、ここまでは殆どが現在の県道に接収されてしまった様である。串野地区からは小川を跨線橋で越えた後、右に大きくカーブした串野トンネルにて北上している。その後も長短3つのトンネルを抜けながら、川底温泉郷を過ぎた辺りで国道と再接近した後に再び菅原地区方面へと南下している。この付近はバブル期に別荘地として開発されており、菅原天満宮手前の踏切付近は里道拡幅時に接収されている様である。菅原地区南西部までは谷間を南下した後、勾配の緩い斜面を選ぶように北西に進路を変えて、涌蓋(わいた)牧場との境界に沿うように再度北上を開始する。軌道敷きがゆっくりと北上を終えるのとほぼ同時に標高も最高々度に達し、その地点に麻生釣駅が設けられている。
麻生釣駅は国道脇に建てられているにもかかわらず孤立した状態になっており、国道からは専用の細い道で接続されている。この取り付け道路は宝泉寺方面からだと鋭角に200mほど戻る形状になっており、わざわざ探さなければ駅までの専用道路だとは思えない程度の代物である。これまで当該駅の確認が出来なかったのは、駅周辺が森に囲まれて国道から全く見えないことと、この専用の道が余りにも細く、更に駅舎正面と国道を繋ぐのではなく軌道敷きに沿うように取り付けられているからである。
大半の国鉄路線は駅間を最短距離で結ぶ形で敷設され、同区間の主要道路よりも距離が短いのが一般的である。その手段として橋梁やトンネルを利用するのであるが、この区間だけは4つものトンネルが建設されているにもかかわらず国道の倍近い距離があり、麻生釣付近の高度と地形が宝泉寺駅以降の建設を遅らせた第一要因だと考えられる。宝泉寺駅を出た軌道は麻生釣駅までの間は川底温泉郷を避けるように3の字型に蛇行しているのであるが、真っ直ぐに敷設されているのは串野地区までであり、串野トンネル以降は旧国鉄軌道としては珍しいほどに小さな蛇行を繰り返している。つまり小さな蛇行を重ねながら3の字の大きな蛇行が成り立っており、軌道が最も苦手とする急勾配を避けるための苦労が偲ばれる区間である。
左表は時刻表及び各駅間の所要時間を一覧にしたものであるが、駅での待ち合わせ時間を含めても、たかが7.5kmの距離で20分も要している。その反面、上り便(宝泉寺方面)は13〜14分であり、上下便で7分の差が出ている。逆に麻生釣〜北里間ではこの時間差が逆転しており、当該路線上で麻生釣駅付近の標高が一番高かったのかを証明していると同時に、麻生釣越えがいかに急勾配であったかも証明していると言える。